だいちくブログ

うさぎ、生き方、ときどき恋愛

【自己紹介②】どうせ読まれないので赤裸々に。【嘘みたいなほんとの話】

こんにちは、

冠婚葬祭の葬に関しては、経験値がバリ3て感じの

ぽむぽむ太郎です。

 

・・・バリ3の意味をしらねーよって人は年下だろうな、

若いっていいなぁオイ!オイ!

 

( ^ω^)・・・

 

 

 

ところでさぁ。冠婚葬祭の「冠」「祭」ってなんなん?

 

ちょいと調べてくるわ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

え、待ってすごいよ冠婚葬祭の意味調べたら、

明日話せる雑学を手に入れたんだが!

 

 

ざっくりいうと、

「冠」成人式

「祭」法事やお盆

 

なんだってぇぇぇええぇえぇ!!

 

博識になっちまった・・

 

 

 

 

 

すみません全然関係ない前置きテヘッ

よぉーし本題いってみヨッ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姉の死と父の死

 

 

また強烈なタイトルですねぇww

 

 

 

 

 

さて、

私が姉を亡くしたのは高校生、

父を亡くしたのは大学生の頃です。

 

ショックが大きすぎて、あまり記憶にないんですよね…

(前回からなさすぎだろ記憶)

 

 

 

姉はわたしと違い、家族の愛されキャラでした!

勉強はあまりできないけれど、頼りがいがあって、

自分の意見をきちんと言えるような人でした。

 

一方で、末っ子のわたしは、

家族の会話に入ることがあまり出来ませんでした。

たぶん、言っても分からないとか、難しい話だから、とかそんな理由で。

なにか相談するなら、話をわかる人にするのと

同じ感覚だと思います…たぶん…

 

子どもはいつまで経っても子ども扱いされるもののようで、

高校生になってもそんな感じでした。

 

 

 

そんな姉と私の関係は、

幼いころに猛烈な喧嘩(うなじに味噌汁かけられる

応戦して大事なもの隠す

大好きだったウォーターボーイズのポスター破られる

など)はありましたが

仲のいい姉妹ではあったと思います。

 

 

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・・?

 

 

 

専門学校へ進学し1人暮らしを始めた姉2(※1)は、

勉強についていけなかったことなどが影響し、精神的な病気になってしまいました。

当時の恋人や、母が姉を支えていましたが、

症状はよくならなかったみたいです。

 

※1:姉2は、実の姉です。

詳しくは自己紹介①をごらんあれ・・!(ウシシ)

 

 

 

pompomtaro.hatenablog.com

 

 

 

 

その頃の私と言えば、勉強はなぜか出来たので(地頭はわるい)、

「勉強についていけない」という姉を見下していました。

まして精神的な病気の知識もないので、ただただ「弱い」とか「逃げ」だとか

最低な考えを持っていました。まじで最悪人間コイツ。

 

当時は姉にとって、恋人が何よりの支えだったと思います。

彼の話をするときは、本当に幸せそうな顔をしていました。

 

 

不安定な日々が続く中、悲劇は起こりました。

 

 

 

 

 

2,3日連絡がとれないことを心配した母が、

姉のアパートへいくと、眠ったように息を引き取った姉がいたそうです。

 

肺の病気で、徐々に呼吸が困難になっていったそうです。

事件性があるかもしれないとの可能性を考慮し、司法解剖をしたのですが、

姉の体が傷つくことが、すごく辛かったことを覚えています。

家族はもちろん司法解剖を希望しませんでした…

 

 

姉が亡くなったという知らせが来たのは、

部活の最中でした。

 

校内アナウンスで自分の名前が呼ばれ、

部員に「おまwwなにしたんwwフヌカポォww」と

いじられつつ(どんな部活だよ)職員室へ行くと、姉の話を聞かされました。

 

 

 

あっという間に通夜、葬儀が終わり、

涙なんて出ねぇよもうってくらい、みんなで泣きました。

 

あそこにいた人たちの涙をかき集めたら、

たぶん、摩周湖とおんなじくらいの水量には

なったんじゃないでしょうか。

摩周湖いったことないけどね。

北海道すらいったことないけどね。

 

 

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摩周湖だそうです

 

 

 

 

家族や親戚が悲しみに打ちひしがれている時、私は、

「どうして私じゃなかったんだろう」と、ふと思ったのです。

これは未だに誰にも言ってません。 (ひみつやで!!!)

 

自分はわがままだし、家族の役にも立っていない、

誰の支えにもなっていない。

家族だけど、みんなより家族じゃない。

だから自分なら、みんなこんなに悲しまなくて済んだんじゃないかと、

しばらくは考えていましたね。闇。

 

 

当然、父も出稼ぎから飛んで帰ってきて、姉1(※2)も帰ってきました。

暴力親父の泣き顔を、初めて見ました。

 

※2:姉1は、母の連れ子です。

詳しくは自己紹介①をごらんあれ・・!(ウシシ) (2回目)

 

 

pompomtaro.hatenablog.com

 

 

 

 

 

そして父はこのときはじめて、

姉が精神的な病気だったことを知ったのです。

 

 

さんざん暴力で家族を支配してきた父に

そんな大事なこと相談しないですよね、むしろできない。

いびつな家族関係がそういう環境を作ったんです。

 

おそらくですが父は、これまで自分がしてきた愚行を悔いたと思います。

 

相談できない、しない状況を作ったのは自分だったんだと。

家族であって家族でなかったと。

 

 

これは言い過ぎか☆テヘッ

 

 

 

とても悲しく皮肉なことですが、姉の死をきっかけに、

私たち家族は変わり始めました。

 

「なんでも話し合おう」、と皆で決めたのです。

 

 

姉1と父は住んでいた場所が近かったため、

2人で飲みに行っていたそうです。

たまには喧嘩もしたそうですが、

なんだかんだ仲良くやってたみたいです。

 

 

 

 

そしてわたしが大学生なり、

いわゆる大学デビューをしてクソ学生として

キャンパスライフを謳歌していたころですね。

 

冠婚葬祭のっっっっカァァァン!!!!

 (ドン)  (ドン)  (ドン) が近づいてきたのでぇぇす!!!

地元ウェイ!晴れ姿ウェイ!オロチマルウェイ!

 

 

 

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オロチマルにございます

 

 

 

 

 

 

振袖を着る人たちは、夏前から、早い人は春からお店に行って準備を始めます。

 

ゴールデンウイークかなんだかで実家に帰省した時にちょうど、

我が家にも振袖のパンフレットが届いており、母とキャーキャー騒いでいました。

 

たまたま単身赴任から帰っていた父にそれを見せると、

ぶっきらぼうに「見て来ればいいじゃん、気に入ったのがあれば買ってくれば」と

言ってくれました。

 

なぁに照れてんだよっっっ!!!ってね。

 

 

 

その言葉を鵜呑みにし、速攻で行きましたよ、着物屋さん。

 

 

 

もうきらめきワールド、あそこは。

成人式だっつって初めて行きましたけど、

キレイな着物ばっかりあんのね、すごいよ。

 

 

何着か試着して、気に入ったものがあったんですよ。

 

まさかのお買い上げですよ・・!!!!!

 

お父上あざまる水産・・・!!!

 

 

 

 

ウキウキウォッチングな気分で家路につき、

早速父に写真を見せました。

 

 

 

 

「これとー、これとー、これ着てー、これにしたのォ!!」

 

「そうかそうか、いいんじゃない。どれも違いが分かんないなハハハ」

 

 

 

なぁに照れてんだよっっっ!!!(2回目)

 

 

てな感じで平和にゴールデンウィークが終わりました。

 

 

 

 

 

夏も夏。

 

うだるような暑さの中、隣の住人の喘ぎ声に聞き耳を立てて過ごす夏。

1本の電話が始まりでした。

 

「お父さんが仕事でケガして入院した」

 

 

え?

職人歴30年の父が、入院するほどのケガ?

 

私は耳を疑いました。

 

 

 

しかしその時は、

「頭を打ったけど、意識もはっきりしているから大丈夫」と言われ安心したので、

お見舞いで実家に帰るということはしませんでした。

 

 

 

 

そこから数日です。

 

 

事態は急変しました。

 

 

 

 

 

私の住むアパートに急に親戚が現れ、

 

「ケガをしたときの出血が脳を圧迫して、止められないそうで、

もうだめだから早く来い」というのです。

 

 

 

状況を飲み込めませんでした。

 

アパートから実家まで、高速をどんなに急いでも1時間以上はかかる。

間に合うだろうか、という問題もありましたが、

 

 

 

まだ腹を割って話したこともない、

本音で向き合ったこともない、

せっかく買ってくれた成人式の着物だって見せられないじゃないか

父が大好きだったお酒を一緒に飲むことさえも、もう叶わない。

 

そんな後悔の方が、頭の中を駆け巡りました。

なんとか病院へついて、なんとか病室へ駆け込みました。

ほんとうに駆け込みました。

 

うわぁ、あの光景を思い出すな・・・・

 

ドラマみたいなシーンが人生に多々あり過ぎて・・・

 

 

 

父が横たわるベッドを、

母、姉1、祖母(父の母)、叔母(父の妹)叔父が囲み、

「お父さん」「いかないで」などと叫んでいるのです。

 

 

昼間の明るい病棟でした。

 

 

わたしが父のもとへたどり着いたその時、

あまり呼んだこともない「お父さん」を叫んだその時、

父は旅立ったのです。

 

心電図モニターが、直線になってしまいました。

 

 

泣いちゃうからもうやめよ。ガハハ

 

 

 

 

私は幼すぎました。

まだまだ2人とやりたいことがあったし、

少しずつ成長した今の自分で、話したいこともあったし、

2人がどう年取っていくのかも見たかった。

聞きたいことも言いたいこともあった。

家族なのにぶつかる勇気もなかった自分が悔しいですね。

いま生きててもぶつかれる気はしないけどねウフフ。

 

 

いま家族が好きで、一緒にいて楽しいと思える人たちは、

今日1度でもいい、顔見てでもいい、電話でもいい。

「ありがとう」と言って欲しいです。

私はもう言えないからさっ!

 

 

 

 

 

なんか長くなりすぎたなぁ。。。

 

 

 

 

新卒2年目で不倫して、3年目で休職した話

 

 

不倫と休職は10行以内でいきます(え?え、E?)

 

 

(不倫)

新卒2年目で、新婚だった男性と1年半ほどお付き合いをして、

学生時代からの恋人を振るほどハマった。

自分の幸せがここにはないと気づいて別れました。

バレずに終わったが、土日も会ったり、県外デートもしました。

辛すぎてご飯が食べられず、4キロ痩せて緑色のう〇ち出た。

 

 

(休職)

同じ部署、同じ部門を担当していた先輩が病んでいたので、

元気を出してほしくて、いろいろな方法で励ましていたらガチ恋をされた。

誰も来ないような場所で体に触れてきたり、ずっと付いてきたりして

恐怖を覚えた。朝起きるたびに吐き気がし、限界を迎えて休職。

 

 

 

ふぅ、文章書くの楽しすぎて長くなっちゃうゥゥ!

 

詳細は需要があれば書こうと思います。

・どうやって不倫が始まり、どうやって終わらせたの?

・休職ってどうすればできるの?

・どんな病気になったの?

・手当はもらえるの?どうすればもらえるの?

 

とか・・・

気になったらお気軽にコメントください(; ・`д・´)

なんでもお答えします。

 

 

 

 

 

 

と、こんな感じで、経験をしてきて、無一文になったこともありました。

クレジットカードの請求が払えないこともありました。

 

 

 

そういうギリギリの人生の中で、

会社しか収入源がないって危機なんじゃないか?と思うようになりました。

 

「自分の力で生きていく」ということは、

自分の飯は自分で調達する、ということで、

自分の全部が自分にかかっているわけです。

 

テロがあって、リーマンショックがあって、

震災があって、コロナがあって、

 

それでも、変わらない生き方をする!!!!!

 

という方が、危機なんじゃないか?思うようになりました。(2回目)

 

 

 

昔から、アニメとかもそうだけど、

「サラリーマン」が刷り込まれてきたじゃないですか。

 

スーツ着て、頭下げて、汗かいて、それが美学。みたいな。

 

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さーせんっつって

 

 

 

 

 

 

 

確かにかっこいいとは思いますが、

「働き方」という見方をすれば、もっともっとたくさんあるよねって、思うんです。

 

 

 

なんの保証もない世の中で、1番頼れるのって自分なんですよ。

 

だから、自分の力で生きていきたい!!!!!

 

 

 

 

 

この星の一等賞になりたいの 俺はっ!!

そんだけェェェ~~~!