だいちくブログ

うさぎ、生き方、ときどき恋愛

【自己紹介①】どうせ読まれないので赤裸々に。【まじで?】

f:id:pompomtaro:20200614162015j:plain

超元気。陽キャのかたまりやん。


初めまして、ぽむぽむ太郎です。

友達のいない事務OLでございます。(マジ)

 

 先ほどの1文で済むだろ、という話ですが

この記事では、わたしの自己紹介をさせてください。

 

 

生い立ちと家庭環境から学生生活・社会人としての生活・今後どうなりたいのか、

を書いていきます。

 

「平々凡々」、と言いたいところですが、

振り返ってみると「波乱万丈」の方が似合う人生でした。

 

 

※衝撃的な事実があまりに多いので、

闇ではなく光へ向かって葬るつもりで、

楽しく語っていけたらいいなと思います。

 

 

 

 

 

家族構成が少し難しいのですが、主に出てくるのは

 

・父(自営業。単身赴任で数か月に1度帰ってくる。)

・母(パートさん)

・姉1(母の連れ子。)

・姉2(5歳上。父と母の子)

・わたし(あほの子)

 

この5名です。

 

 

 

 

 

 

家庭内暴力と無力を知った幼少期

 

 

「幼少期はどんな家庭で過ごしましたか?」と聞かれ思い出すのは、

父の暴力から必死に逃げ、姉に毛布で目と耳を塞がれた真っ暗な世界です。

 

 

鳴りやまない怒号と暴力、涙を流して叫ぶ母。

姉2人は、恐怖に震える体で、幼いわたしを必死に守ってくれました。

 

ときには急須が窓を突き破り、外へと舞うことも・・。

 

 

あの時は本当にバイオレンスでした。
多分、頭の中で怖い音楽流れてたと思います。

シューベルトの魔王とかね、たぶん。ん?

 

 

もちろん、子供ながらに「普通じゃないなこの家・・」

という危険信号は本能的に感じていました。

 

そんな中で、母1人を守ることもできない

自分の無力さにあきらめを覚えたのも、この頃です。

 

 

 

学校行事にもちろん父は来ません。

保育園から大学まで思い返しても、

記憶に残るのは1回かな・・小学校の運動会だったと思います。

 

積極的に学校行事に参加しているお父さん、

仲の良さそうな同級生家族を見て、

「自分には一生縁のない光景だ」とうらやましく思っていました。

 

その反面、母がとーーーっても面白い人なので、

普段の生活に父がいないことに関しては、正直、困りませんでした。

ごめんな父ちゃん・・

 

 

こんな状況であるため、「父が家にいる」というだけで気を張っていました。

(幼少期からすでに肩が凝ってた記憶があるとかないとか。)

 

そして私は、この家で生き抜く

たった1つの方法を身につけることになったのです。

 

ひとの顔色をうかがって行動する。

良くも悪くもこれが身についてしまった原因ですね。

 

 

 

地獄の我が家で生き抜く掟

 

  • 父の機嫌を損なわないように

  つまらない事も一生懸命に笑ってごまかすことに全身全霊をそそぐこと。

  • 父が単身赴任へ行く時は、

  悲しそうな雰囲気を醸し出すことに全身全霊をそそぎ、

  KUROSA〇A映画に出られるんじゃないかってくらいの名演技をかますこと。

 

 

 

こんなふうに生きていたもんですから、同性の友人が言う

「お父さんと○○行った」「お父さんの方が好き」などの言葉は

全て異国の話にしか聞こえませんでした。

 

なにそれ?パラレルワールドのはなし?

家では急須が飛んでるけど何か?

と思いながら、ニコニコと話を聞いていましたよ。

 

 

 

 

 

実は連れ子の姉1も、母に次ぐ被害を受けており、

私が3歳、彼女が高校生の頃に家を出ていきました。

 

年頃の女の子が眉毛を剃った、というだけでビンタですよ?

あり得ますか?そんなこと。

 

これは悲しい話ですが、おそらく「連れ子だから」という理由だけで、

姉2は、なにかと父に目をつけられていました。

 

姉が家を出て行った日のことを、おぼろげですが覚えています。

田舎の無人駅のホーム。冬のことだったはず。

電車に乗り込む姉を、泣きながら母と見送ったのです。

エモいってやつかなコレ・・・

 

 「田舎の駅の線路」の写真

 


そんな日々の一方で、ディズニーランドに連れて行ってもらうなどの

「家族サービス」はしてもらっていました。

おそらくですが、「父親としての仕事をやっている」と

アピールしたかったのではないかと思います。

 

 

しかし、 こちらサイドはそんな手には乗りませんよ!!

 

「は?そんなんでこれまでの所業をぬぐい切れると思うなよ?」

「渋滞でイライラして社内の空気ピリつかせんなや?」

「自己満ヤメロ」などと怒りを噛みしめつつ、

 

いざ現場へ向かってしまえば、

「ぐ、ぐぬぅうううポップコーンおいじぃいいい!!!!」

「ダンボに乗ってるよぉママァァたのじぃいいいい!!!」

と、様々な気持ちが錯綜していました、えぇ。

 

 

 

家族のいびつさは理解しつつも、

それを受け入れなければならない理不尽さを覚えた幼少期でした。

 

 

 

 

 


先生も同級生もいじめて、いじめた子と親友になった小学生

 

 

見出しからパンチありますね!

すべて事実ですよこれ、怖いねぇ・・・。

 

 

小学生時代の私はとっても活発な子どもでした。

友達はいた方ですし(田舎なので1クラスしかないけども)、

あの頃は明確に感じることができませんでしたが、

おそらくスクールカーストの上位にいたんだと思います。

 

いわゆる1軍、2軍というやつです。

 

上位にいながらも、

控えめな子たちとも分け隔てなく遊ぶような子でした。

 

 

家庭のコンプレックス、

ここだけの話、小学5年生までしていた

おねしょコンプレックスなども、

まったく感じさせない明るい子だったと思います。

 

 

どのくらい明るいかというと・・・

昔やっていたお悩み相談番組で、

「こたえてちょーだ〇」というのがあったんですよ。

そのお悩み相談コーナーへ電話をし、

番組テーマソングの1フレーズを歌って電話を切るという

愚行をするほどの子供でした。(あの時はすみませんでした。)

 

そんな楽しい日々の中、

新しい先生が、私たちの担任として小学校に入ってきました。

 

名前は適当に、三郎丸先生としましょう。

ん?適当すぎるって?なんかいいじゃん。三郎丸、ねぇ?

 

 

この年になって振り返ると、

その先生が特になんかしたってわけじゃなかったと思います。

思い出せないだけかな?

ひげが、すごくすごく、青いくらいですね。

 

 

本当に何をきっかけに、とか、いつから、とか

全く思い出せないんですが、始まったんです。

 

 

 

 

先生いじめが。

 先生含め、3人を人生でいじめました。

 

 

f:id:pompomtaro:20200614162333p:plain

ほんとよくない

 

 

加害者ってホント残酷ですよね、きっかけも期間も思い出せません。

当時の先生は、今の私と同い年くらいだと思います。

 

 

 

どんなことをして先生をいじめたと思いますか?

 

 

例えば朝の会ですね、みんな全然話を聞かなかったり、

あとは直接的に、「せんせぇーひげ青いーーっ!きもぉー!」とか、

臭くもないのに「なんか先生くさいーーーー!!!」とかね。

やり方が幼稚ですね。小学生のいじめです。

 

やり方は小学生といえど、傷つくよね・・人間だもの・・・

 

 

 

他には、1軍女子たちが三郎丸先生を明らかに避けたり、

キツい視線を送ったり、話しかけられても無視して舌打ちしたりしていました。

 

 

一言でいえばこんな感じです。

 

 

「あ、コイツら敵に回したら俺たちの命ねェな・・」

 

 

お分かりいただけただろうか・・

小学生がこれを本能的に察知するレベルです。

 

 

 

もちろん私も、いじめに加担していました。

目立つ子が先生をからかうようなことを言い、それを一緒に笑ったり、

みんなと一緒になって先生を無視してみたり・・

 

正直、そこには「みんなと一緒」の安心感しか、メリットはありませんでした。

 

 

 

子どもって、飽きが早いですよね?

昨日までポケモンポケモン言ってたのに

今日はデジモンかよ・・バタフライかよ・・・

ゴキゲンな蝶にはなれねぇぜ、的な・・

 

 

そんな風に(どんな風に)、ターゲットの先生も徐々にシフトしていきました。

 

 

 

今度は50代の女性の先生。

特徴的な場所に、特徴的なほくろがあった先生。

目が細くて、鼻にかかったような声の先生。

 

 

その人をねぇ、絵にかいてみんなに見せて、バカにするんですよ・・

クラスに1人は必ずいるでしょ、、絵がうまい子・・

 

 

その先生も、何となくそういう対象にされていることは分かってる。

だけど、ちょうどそのころ「モンスターペアレント」って言葉が

流行り出したころで、教師も肩身が狭くなっていた頃でした。

 

先生がそんな感じだと児童はどうなるか・・

 

 

そう、つけあがるのです

 

 

 

先生いじめに飽きた頃、

1軍女子は最後のターゲットを見つけました。

 

同じクラスの女の子。(Aちゃんとしましょう。)

 

 

理由は覚えてないのですが、多分、多分、

  • 男の子と仲が良かったこと。
  • 図工の時間に、絵のうまい女の子の絵を、Aちゃんが真似したから。

だったと思います。

 

これは本当にいじめでした。
無視は当たり前、彼女の一挙一動に対して悪口を言う、

更には容姿の悪口も言う、などひどいことばかりです。

 

 

 

まわりも、このいじめを黙認していました。

 

もう、マジで漫画ですね。いじめ漫画。

 

 

 

いじめが続く中、小学生最大のイベントである

修学旅行がやってきます。

 

 

電車が2時間に1本の田舎町に住む

わたしたちの修学旅行の行き先は、仙台!

 

一応、1軍のグループで課題学習をこなした私は、

この夜に人生の転機を迎えます。

 

 

f:id:pompomtaro:20200614163505p:plain

政宗さま

 

 

なにがあったか忘れましたが(いやここ重要だろ)、

たぶん、みんなで雑魚寝をしたときに

いろいろと話して気が合ったんでしょうね(すっとぼけ)

 

 

 

1泊2日の修学旅行、

最終日の集合写真で私の隣にいたのは、

いじめていたAちゃんでした。

 

修学旅行が終わってもそれは変わらず、

彼女は今でも私の親友です。

 

それ以降、彼女がいじめられることはなくなりました。

 

 

 

しかし、私も、1軍女子との交友を徐々に失っていきました。

 

学年に女子が13人程度しかいないのに!!ww

(女子ってたぶんこんなもんです)

 

 

 

でも、Aちゃんといることの方が楽しかったし、

なにより飾らない自分でいられました。

 

 

1軍女子の中にいたときは、

「そこにいる自分」にうぬぼれて、

「そこにいる自分」に価値を感じていました。

たった5人かそこらでも、人間が集まれば同調圧力みたいなものが

生まれるんですよ、しかも小学生で。

 

 

でもね修学旅行のおかげで、

12歳にして、ようやく自分らしくいられる友達を見つけました。

 

 

 

f:id:pompomtaro:20200614163737p:plain

こんなかわいいもんじゃないけどねww



 

あのときわたしを許してくれたAちゃんには本当に感謝しています。

 

 

 

 

 

さて、次回のぽむむさんは~?!?!?!

 

・姉の死、父の死

・休職と不倫を経験した社会人

・それでも自分の力で生きていきたい

 

 

以上でお送りします!

 

じゃんけんっぽんっ!!

 

(ちょき)